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2011年7月2日

JR東日本、安全最優先の企業風土。あの大震災で東北新幹線、けが人0の理由は?

数日前、大変お世話になっている「人と情報の研究所」代表、北村三郎先生からメールをいただきました。ご自身のサイトに掲載した、稲生武(いのお・たけし)さんの寄稿文「JR東日本の安全文化」をご紹介くださいました。

 

北村先生との出会いは、2004年(平成16年)7月に発刊した塚越寛さんのご著書『いい会社をつくりましょう』の一人の読者様としてご用命くださったことがきっかけです。何回かのご注文の過程で、おつきあいが始まりました。

 

その後、「企業風土改革」というご自身のテーマで、親交のあるイオンリテール労働組合の「五感塾研修」を小布施町で開いてくださるなど、たくさんの学びをいただいてきました。

 

2007年(平成19年)に発刊した『幸福への原点回帰』(塚越寛さんと鍵山秀三郎さんの共著。写真上)では、プロデューサー役を担っていただきました。

 

http://www.e-denen.net/syoseki/taidan.html

 

稲生武さんは、元いすゞ自動車株式会社代表取締役社長。

ウィキペディアには「いすゞ自動車では操縦安定性、振動騒音、人間工学などの研究開発を行い、大型車開発を中心とする技術者出身の経営者である。また、1974年には品質工学を提唱していた田口玄一博士から操縦性評価などについての指導を受けた。」と記されています。2001年からJR東日本の社外取締役、2010年から顧問をおつとめです。


東日本大震災が発生したあの瞬間、JR東日本の圏内で27本の新幹線が走行していましたが、すべての列車が無事に停車しました。怪我をされた乗客は一人もいませんでした。あれだけの地震にもかかわらず、高架橋の橋脚は壊れなかったのです。

 

稲生さんは、「幸運や偶然ではなく、JR東日本という企業の組織風土、安全文化がもたらした必然と断言できる。」と書いておられます。

 

私の暮らす信州小布施はJR東日本のエリアにあります。ローカル線はもちろんのこと、月に2回は上京するために乗る長野新幹線には、ほんとうにお世話になっています。安全、正確、安心のこの新幹線無くして、今の私の暮らしも働きも、考えられません。

 

3.11から49日、東北新幹線が全面復旧し、JR東京駅を「はやぶさ」が出発した姿を見て、胸を熱くした人はたくさんいたと思います。しかしその背後に、どれほどのものごとやひとびとが動いていたのか、という視点の報道に、私はほとんど接しませんでした。もしかすると、「マスコミに開陳するほどのことでもない」とJR東日本の幹部のみなさんが思っていらしたとしたら、安全に関する同社の「当たり前水準の高さ」を、無言のうちに語っていると見ることもできます。

 

風土や文化は、一朝一夕にはつくることができません。また、トップがかけ声だけで行動に移さず、行動しても組織全体に浸透するまで継続しなければ、養うことはできません。

 

業種や規模、企業か家業かなどに関係なく、人が集まれば生まれるのが組織です。それを担う立場の人間はすべて、組織風土、企業文化のあり方をどのように見定め、時間をかけて育んでゆくのかという、根源的な問いを自分自身に向けながら、仲間たちとともに、歩を進めてゆく必要があると、あらためて認識しました。北村先生、ありがとうございます。

 

稲生さんの寄稿文の全文は、北村先生のサイトをご覧ください。安全最優先を追求する「愚直なまでの」姿という表現に、「本来の日本文化」を重ねながら、再読しております。

 

http://www2.shizuokanet.ne.jp/sabu/

 

たくさんリンクされている文章を読んでいくと、「企業文化、風土改革」に関するたくさんの文章を、学ぶことができます。

稲生さんの寄稿文を裏付ける記事を見つけましたので、ご紹介します。

 

http://www.nikkei.com/tech/trend/article/g=96958A90889DE0E5E7E1E1E1E0E2E0E5E2E6E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;p=9694E2E4E2E6E0E2E3E3E2E4E7E0

 

この記事の文末から引用します。

 

「29日の東北新幹線の全線再開で、青森から鹿児島までが新幹線で初めて結ばれた。新幹線は09年度で年3億人弱、東北だけでも7700万人が利用する日本 の大動脈だ。阪神の時と同じように、今回の経験を鉄道技術や地震対策の向上につなげられるか。日本各地を結ぶ新幹線の安全への挑戦はつきない。」

 

最後に、北村先生の下記の一文をどうぞ。

 

「経営トップの考え方は遺伝子として伝わり組織風土に大きな影響を及ぼしていきます。」

2011年7月26日

福岡市にて、井内由佳先生の近刊「わたし、少しだけ神ささまとお話できるんです。」の撮影と打ち合わせです。

2011年7月29日

鈴木成一さんと、井内由佳先生のご著書の撮影に福岡市へ。

みなさん、装丁家の鈴木成一さんをご存じでしょうか?

 

NHkの人気番組プロフェッショナル仕事の流儀にも登場した、気鋭のデザイナーです。数年前、自宅で鈴木さんを取り上げたこの番組を見ました。

 

大手の出版社が「気合いの入った本、ぜったいに売りたい本の時は、鈴木さんしかいない」「期待通りに,期待以上の仕事をしてくれる」と語るシーンがありました。普段強気なことをいっているわたしですが、「大手の編集者から人気の人だし、相手にしてもらえないよな−」「高嶺の花、かな」と思って、ずっと忘れていました。

 

8月28日に発刊する『わたし、神さまと少しだけお話できるんです。』 この書物のご著者、井内由佳先生との打ち合わせの中で、鈴木さんのあの番組を収録したDVDを持ってこられ、「この方に、わたしの本の装丁をお願いできないかしら」とのこと。驚いたというか、たじたじ、というか・・・(汗)。

 

いまから2ヶ月ほど前、思い切って、ファクスとメールを鈴木成一デザイン室にお送りしました。電話に出られた鈴木さんは、わたしたちの趣旨を了解され、お引き受けくださったのです。

 

そして、7月12日(火)12時に、代官山の鈴木さんのお仕事場を初訪問。福岡市から井内先生とカメラマンの古川耕伍さん(ビスカンパニー)、編集者の中島敏子さんとわたしで参りました。

 

そのおり、鈴木さんを福岡市にお迎えして、表紙に使う井内先生の写真撮影に立ち会っていただけることに決まりました。なんというあり得ない展開でしょう!

 

鈴木さんとの二日間の福岡旅行(おしごと!)は、先日25日と26日に実現しました。二日間の詳しいことはおって書きますね。

 

いま、29日午前1時です。ライターの井手さん、井内先生のお友だちの小野さん、そして井内先生が、原稿の最後の詰めの行程、推こうを進めてくださっています。

 

明けて29日朝は、9時前に家を出て上京。神田で井内先生と合流して、電子書籍化とプロモーション関係の会社の担当者・平賀さんと面談、打ち合わせをします。

 

『わたし、神さまと少しだけお話できるんです。』は、文屋サイトTOPページにて、(いまのところ『幸福への扉』の書名で)ご予約を受付中です。晩秋には、東京で、出版記念のトークショーとティーパーティーを、開きます。

『世界夢ケーキ宣言!』の清水慎一さんの活動が、読売新聞の全国版に!

2011年7月30日

iPad2から初ブログです。やっとできました。

みなさん、こんにちは。 二週間前にiPad2を求めました。

 

出張が多いので、メールの確認と送受信を中心に、たいへん役立っております。ですが、ブログをうまく入力できなくて、苦慮していました。 それが、いま、ようやく、可能になりました。

 

ですので、これが、iPad2からの初ブログです。

 

いま、小布施町の図書館 まちとしょテラソにいます。二年前に開館した、“この国でいちばんチャーミングな図書館”でブログを書いて発信したくて、、、それがささやかな夢でした。

 

先ほど、司書の北澤裕子さんと、「小布施人百選」というデジタルアーカイブ事業の原稿の打ち合わせ。そのあと、館長の花井裕一郎さんと、iPad2の活用法や当面の図書館運営について語り合い、いまは、雑誌と、新聞を読んでいます。

 

今夕は、小布施の夏祭り くりんこ祭りです。あすは朝から、近くの木島平村の廃校で、掃除に学ぶ会と便教会の関係の清掃サミットで、トイレ掃除を楽しみます。

 

ではみなさん、よき夏の週末をおすごしください。 iPad2からの初ブログ、めでたし、愛でたし!!

 

小布施の日本のあかり博物館は、3.11後のわたしたちの未来を考える場でもあります。

みなさん、小布施町中心部にある「日本のあかり博物館」をご存じですか?

 

栗菓子の竹風堂本店の中庭、土蔵を再生した建物です。

 

「暮らしの中の道具として用がなく、忘れ去られたあかりの道具たち。日本のあかり博物館は、このような道具を通して、灯火の歴史や人々の生活を紹介し、後世に伝えることを目的とする博物館です。」と、サイトに記されています。

 

「館報」49号が届きました。

 

「ろうそく 文献に見るその使用の歴史」と題した、学芸員 見波瑞紀さんの論文が掲載されています。

 

その文末に、こうあります。

 

「電気の灯りに親しんできた現代の私達にとって、蝋燭の灯りはとても小さく暗く感じるが、過去にはこの小さな灯りにすら憧れた生活があった。そしてそれを使用できた人々も、貴重な蝋燭を無駄にしないよう、大切に使っていた。」

 

なるほど、ほんとうにそうですね。スイッチ一つで、いくらでも明るい照明をtけることができ、消すのも自由。月に一度、電力会社への支払いは、銀行の自動引き落とし。ほとんど、「湯水のごとく」電気を使っているわたしたちです。

 

文章はつづきます。

 

「ところが電気のあかりになって、光源の消耗を自らの目で確認することができなくなったためか、現在ではあかりを貴重と感じることはない。蝋燭1本が宝物のようであった過去を踏まえ、現在のあかりを自由に使える生活について、もう一度考えてみたい。」

 

「光源の消耗を自らの目で確認することができなくなった」の指摘に、目の覚める思いがします。

 

原発にも「光源」である燃料があります。3.11まで、わたしは、そのことに、まったく意識を向けていませんでした。考えていたのは、節約のための、自分の家計のための節電だけでした。

 

見波さん、貴重なご指摘を、ありがとうございました。

 

そして、国の重要有形民俗文化財に指定された灯火具をはじめ、数多くの収集・展示・研究や、子どもたち・一般へのあかりの講座などを、30年前から続け、支えてこられた、竹風堂さんのお志に、敬意を抱きます。

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