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2016年02月21日

vol.092 自分の暮らすまちを「いいまちだなー」と思えるまちづくり その6

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ (きょうのテーマ) 自分の暮らすまちを  「いいまちだなー」と思えるまちづくり その6 「美」と「公」は一対。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ******************* ★「美」の本質は「ツトメを果たす」こと★ ******************* 「美日常の、安らかで和やかな、いいま ちをつくりましょう。」 生まれ育った信州小布施の地で、 小布施人(びと)として暮らしながら、 特産の小布施栗を育てる農業を営み、 出版人として地球を舞台に活動する。 私の心には、いつも 「美日常」の思いがあります。 「たいくつな日常」でも 「たいへんな非日常」でもない、 「上質で小さなハレ」を楽しめる日常。 生活者と来訪者、発信者と受信者が ともに心豊かな文化を 共有できる暮らし。 自らの分際をわきまえ、 ツトメを果たしてこそ 味わえる、いのちの祝祭。 お互いを思いやり、 心地よい刺激を交わしあい、 高めあっていくことができる、 絆のはぐくみ。 そうした営みを 「美日常」と呼んでいます。 漢字の「美」は、 「大きな羊」を表しています。 五穀豊穣(ごこくほうじょう)や、 家内安全、商売繁盛。 神さまに「幸福」を祈るときに、 ご褒美(ほうび)としての 「幸福」をいただく 前提条件のツトメとして、 感謝を込めて、 神さまに捧げる生け贄(いけにえ)。 それは、 村の牧場(まきば)で、 いちばんよく肥えた、 美味しそうな「大きな羊」でなければならない。 その生け贄を捧げる人々の姿を 表す漢字「美」を、 日本の先人たちは、 「真・善・美」という 至高の三つの漢字の一つとして選び、 「美しい」と訓読みしました。 これをわたしたちの暮らしに生かすなら、 それぞれの「わたし個人」が、 自らの分際をわきまえ、 「わたし個人」のツトメを果たす姿が、 「美」であり、 そうした日々のすべてが、 美しい「いのちの祝祭」になるのだ、 と思います。 ******************* ★「美」と「公」は一対★ ******************* 難しく考える必要はありません。 自分、家庭、地域、職場、日本、世界、宇宙 この同心円の中心で、 自分のなすべきツトメを、 きちんと果たすことが、 美しく生きて、幸せになる、 「考え方」であり、 「心のありよう」なのだと思います。 こう考えてくると、 美はけっして「わたし個人」の中で、 完結するものではないことがわかります。 「わたし個人」のまわりの人たち 「いままで」の人たちと 「いまから」の人たち 世界の未来=みんなのあした=公(おおやけ) 公のために私ができること、 なすべきツトメを果たすことが、 美しく、幸せをもたらす。 美は公であり、公は美をつつむのだと思います。 長くなりましたので、 IさんとKさんのことは、 次号で書かせていただきます。 「あなたはあなたの暮らす まちが、 職場が、 家庭が、 好きですか?」 つづく *************************** ★きょうの気づき★ ◆それぞれの「わたし個人」が、 自らの分際をわきまえ、 「わたし個人」のツトメを果たす姿が、 「美」であり、 そうした日々のすべてが、 美しい「いのちの祝祭」になる、 と思います。 ◆世界の未来=みんなのあした=公(おおやけ) 公のために私ができること、 なすべきツトメを果たすことが、 美しく、幸せをもたらす。 美は公であり、公は美をつつむのだと思います ◆天下国家を論じたとしても、 究極、問われているのは、 「わたし個人」の「心のありよう」 「考え方」。 美日常と公(おおやけ)。 和合と感謝 この原点から、 ものごとを発想し、 行動していきたい。 ◆日常のさりげない会話の中で、 「いいまちだなー」と、 思わず口から出てくるような「まち」に 暮らしたい。 そういうまちをつくっていきたい。 ◆「いいまち」とは、 どんなまち? それがわかることが、 「いいまち」づくりの出発点。 **********************

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