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2015年11月23日

vol.008 「美」の語源は、草原のまるまると肥えた羊

********************** ★「美」の語源は、草原のまるまると肥えた羊★ ********************** 勤労感謝の日。  文屋のある信州小布施の氏神樣では、新嘗祭(にいなめさい)が催され、お社 には一対の幟が風にたなびいています。 ご神殿には、お米や大根、果物などの供物(くもつ)が捧げられています。 供物と書いてわたしがすぐに連想するのは、羊です。それは、一番好きな漢字 である「美」に関連があるからです。 美は、羊+大です。もう十数年前のこと、「美」を白川静先生の『字統』に引 いてみました。美は、神さまにお供えする、よく肥えた羊のかたちであると書 かれています。そしてこんなお話を空想しました。 昔、大陸の草原の村で、五穀豊穣や村人の健康を祈って春祭りが行われまし た。神さまからそうした幸せをいただく前に、人間から神さまに先にお供えし よう。何をお供えしようか。若い衆があれやこれやと話している集まりで、村 の長老がひと言。「草原にいる一番よく肥えた羊にしなさい。大きな幸せをい ただきたいのならば、まず自分たちにできる最大限のツトメを果たしなさ い」。神さまへの生け贄(いけにえ)として、まるまると太った美味しそうな 羊が、捧げられました。 こんな空想をしながら、「美」に込められた先人たちの想いを今の暮らしに生 かすとしたら、と考えて生まれたのが、「美日常(びにちじょう)」という言 葉でした。 **********************   ★「美」とは、ツトメを果たすこと★ ********************** 「美」とは、ツトメを果たすこと。文屋は、「美日常の、安らかで和やかな、 いいまちをつくりましょう。」という理念を掲げて活動しております。「美日 常」とは、「たいくつな日常(ケ)」と「たいへんな非日常(ハレ)」の間に ある、「上質で小さなハレ」の場を楽しむことができる、暮らしのあり方です。 文屋の考える「美」とは、一人ひとりが、限りある一度きりの人生において、 本来あるべき姿や、自分のなすべきこと=ツトメを、自分の分際の中で果たし きることです。生け贄として神さまに捧げられる、よく肥った羊を表すといわ れる「美」。そのイケニエにあたるものが、ツトメなのだと考えています。 もちろん「美」は、容姿や服装や立ち居振る舞い、言葉遣いなど、目に見える 様子のきれいさや愛らしさを表す言葉でもあります。しかし、千年単位の時間 の中で、「美」に込められてきた願いに思いをいたしながら暮らし、働く時に はじめて、目に見える様子の美しさも伴ってくるのかもしれません。 「美」という文字は、ですからわたしには、自戒と改善と行動と、その継続を 迫る言葉でもあります。 **********************   ★自分の義務を雄々しく行う人間★ ********************** そんな思いを抱いていた時、あるセミナーで配られた資料に、こんな言葉が紹 介されていました。広報・危機対応コンサルタントであり「価値統合家」とし て数多くの著作をもつ山見博康さんが「メディアPR」についてお話しになった 講演会の資料です。 紀元一世紀に生きたローマ皇帝で哲人のマルクス・アウレーリウス (121〜180)の『自省録』にある言葉だそうです。 「単純な、善良な、純粋な、品位のある、飾り気のない人間。正義の友であ り、神を敬い、好意にみち、愛情に富み、自己の義務を雄々しく行う人間。そ ういう人間に自己を保て。哲学が君をつくりあげようとした、その通りの人間 であり続けるように努力せよ。神を畏れ、人を助けよ。人生は短い。地上生活 の唯一の収穫は、敬虔な態度と社会を益する行動である。」 社会を益する行動 わたしはどれほどできているのか? いまのわたしの「状況」が、その答えで す。言い訳はできません、いたしません。これから、です。 山見さんのセミナーを主催し、この言葉と出会わせてくださった、日本を代表 するビジネス書評家・土井英司さん、ありがとうございます。 土井英司さんのHP・ビジネスブックマラソン:http://eliesbook.co.jp/review/

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